Masaharu Fukuyama Presents

♯.14 「Maybe tomorrow ・・・佐山佳晃編 B」
(NOV/22/04)

 佐山は元来から器用な選手ではなかった。
ヤツのチーフトレーナーである伊勢は、そんな佐山の性格的な事や技術的な事、ヤツの持ってる潜在能力の全てを引き出す為に、まず距離をとって戦う術を教え込んだ。
不器用が故にファイタータイプに育てるのではない。距離を保ち、打つべき所は連打でまとめて再び距離をとる。相手に自分を追わせるボクシング。 
そう、綺麗な言い方をすれば “ヒット アンド アウェイ” という戦法である。
しかし、当初の佐山は “ヒット アンド アウェイ” という響きのスマートさはなくそんなタイプとはほど遠いボクシングしか出来なかった。
だからマスボクシングで、何千、いや何万回の反復練習させ体に染み込ませ、体が勝手に反応できる様にさせて行った。
元々は攻撃的で気持ちが前に出る性格なので、伊勢は敢えてそこから佐山のボクシングをつくり上げようとしていた。
試合前のそんな練習風景が頭の中を回り続ける。

奇跡は起こった。
翌日のジムで佐山の意識が戻ったとの知らせを受けた!
しかし、この時一番最初に頭を過ぎったのは過去に起こった事故の例・・・
リングで倒れ、意識を失った選手が生死を彷徨い、次に意識を取り戻した時、以前のその選手の姿がそこには無かったという。
最初に面会に行った辻本会長の話では、幸い佐山はしっかりと意識も戻り、自分の事や会長の事も分っているらしい。
集中治療室は家族の者以外の面会はできないので、親戚になりすまして決められた時間に病院へ行ってみる事にした。
そこにいたのは頭蓋骨の一部を外したままで頭を包帯で巻いている佐山。
そんな状態ながら俺の顔を見て開口一番に「次はいつ試合ができますか?」
この言葉が佐山のボクシングに対する想い・・・
ボクシングだけに賭けてきた男の強さ・・・
もうリングで戦う佐山の姿は見ることはできない。
「俺もな、最後の試合で軽い脳内出血を起こしてなぁ。ま、入院までせんでも良かったんやけどな」  遠まわしにそう言うのがやっとだった。
休む事のないジムワーク、欠かした事のないロードワーク、それによる基礎体力があってこその奇跡の回復やったと思う。
しかし、だからこそ・・・諦められない夢・・・
「とにかくリハビリして早く仕事できる様にならんかい〜!!」 と、無責任な言葉で締めくくり病院を後にしたな。
それから幾度と病院に行く度、佐山の顔色は良くなり話し方もしっかりしてきた。
約一ヶ月と少し、お盆が終わる頃にはもう退院できると聞いた。
あれから何も言わなかったけど、その頃には佐山自身も気持ちの整理が出来ていたのだと思う。
退院した足で、何と車を運転してジムに挨拶に来て俺らをビックリさせたな。
そしてしばらくして佐山は淡路島へと帰って行った。

冬が来る前、ジムに大きな荷物が届いた。
会長、伊勢、そして俺の分に三等分された荷物は、淡路島で自分が栽培した米と玉ねぎだという佐山からの贈り物だった!
なーんと嬉しい贈り物 ^^#))))
( 余談: 家でカレーを食べてる時の会話
 俺: 「さすが佐山が作った玉ねぎやな〜〜!えらい美味いで〜!!」
 嫁さん: 「ふぅ〜ん。それそこのLIFEで買ったヤツやで↓#」
 俺:  (++:)絶句(笑)  )

そんな佐山は今も同じ職場で働いてた功雄やジムの後輩たちの試合には必ず淡路島から駆けつけてくれる。
その顔を見る度に、倒されても倒されても立ち上がり相手に向かって行くその姿が目に浮かぶ。

佐山!
今でも仕事中に気がつけばシャドーとか体が勝手に動いてるんちゃうか?
今はまだ悔しい気持ちしか残ってないかもしれない。
“星に願いを” ではないけれど、もし、一度だけ Time Back できるのなら・・・
お前は 「デビュー戦前夜に戻りたい」 と思うのでは?
再び笑えるようになれるまで、少し時間が掛かってしまうかもしれない。
でも、お前が今の俺の歳になった時、色んな悔しさも懐かしく感じるようになると思う。必ずボクシングと出会えて、ボクシングをしてきて良かったと思えるよ。
俺や伊勢は、短い期間やったけど、そんなお前と熱い時間を共にできた事を誇りに思う。
同じ江坂ジムで一緒に練習できて本当に良かったと思う。
お前から教えられた事...多いわ。 (thanks v(^‐)v )

押忍



Photo.1
「百木義文、再起戦」

Photo.2
「Newガウンで集中する義文)」

Photo.3
「いざリングへ」

Photo.4
「『めざせ!チャンプ』の元日本バンタム級6位・福本修(アポロ)vs福山真治」

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