Masaharu Fukuyama Presents

♯.23 「13年前の左フック」
(JAN/12/09)

長い間ホームページを放置PLAYしてました・・・

コラムもほったらかしで3年以上が過ぎてしまってるようです。(^^:)))



2008年も沢山の感動をくれた選手達に感謝しています。

今回はそんな昨年を振り返ってみて現役を離れた江坂ファイターからもらった感動を書いてみました。

やっぱり自分にとって昔に教えてた選手が笑顔で帰って来てくれる事は本当に嬉しい事であり「一緒にボクシング出来て、一緒に練習出来てホンマに良かった!」 って思える最高の瞬間です!



これは去年1月、守部厚希(元日本スーパーフライ級チャンピオン)がくれた俺にとって最高の宝物の話です。





正月休み気分も抜けてきた1月半ばの土曜日、江坂ジムの同窓会があるという事で練習が終わってから遅れて参加してきた。

ジム開設からトレーナーをしてきたので当時のプロ一期生ら懐かしい顔が20人以上集まる(驚:)と聞いてたので楽しみにしてた。

江坂ジム唯一の日本チャンピオンで元日本スーパーフライ級王者・守部厚希とはもう12年近く会ってなかった。

守部厚希・・・色んな思いが交差する。

ジム開きの時に初めて顔を合わせ、4回戦の頃から辻本会長に専属トレーナーを任され、時には兄弟の様な付き合いで接し、選手とトレーナーというより選手同士の間柄やったと思う。

まだ携帯が無い時代、ポケットベルでジムに入る時間を連絡し 「相手に一発も打たせないアウトボクシング」 の完成を目指し、共に戦い、死にもの狂いで獲った日本のベルト。

当時は良きにつけ悪しきにつけ、名(迷)コンビやったと思う。

こいつにはホンマによう泣かされたな。  

でもそれ以上の感動ももらった。



持ち前のスピードとアウトボクシングで日本1位まで駆け上がり、待ちに待った初めての日本タイトル挑戦。

当時の王者はハラダジムの輸入ボクサー・ネルソン原田。

しかし、その初挑戦は2ラウンドに派手なダウンの応酬の末、10回ドロー、引き分けでタイトルを奪えず。

でもその1年後には安田(大星森垣)との空位の王座決定戦に勝ち日本のベルトを江坂に持ち帰った。

当時の 「30才までに日本王者を!」 という俺のトレーナーとしての目標にも見事応えてくれた。

そして初防衛、1位のスコーピオン盛川(写真のポスター)に後楽園で判定勝ち。

この頃には俺の中ではもちろん “世界” の夢を守部にみていた。

次戦、1位の強打で売り出し中の松倉(宮田)との試合はチャンピオンカーニバル屈指の好カードとも言われていた。

当時、後には名護や徳山らが控えていたけど、この中では守部が頭一つ抜け出してる存在やと夢は膨らんでいたな。



でも守部の出した答えは・・・ 戦わずして引退。



守部は周囲の説得や会長の怒りに惑わされる事無くタイトルを返上し、ジムから姿を消した。

マネージャー(会長夫人)から 「福山さんに説得してもらい」 って辻本会長も言われてたみたいやったけど・・・

当時の俺も、もちろん守部も、若くて考えが幼過ぎて腹を割って話も出来ず。

今となれば・・・・・

もう少し強引に 「こうしろ!」 って言ってやれば良かったし、守部も実はそれを望んでいたとか。(その夜の守部談)

あの項、日本チャンピオンになる少し前?からかな、俺とは何でも言い合えたコンビやったはずなのに少しづつ二人の間に溝が出来てきてた。

ボクシングの話、戦い方、俺と話し合うより同僚の日本ランカーと話し合う守部をみて、俺自身は守部を近い様で遠い存在に感じ始めてたんかな。

今の俺ならそんなくだらんジェラシーにはビクともせんのにね。



結局、これからの事をもっと考えずに、お互いの真相もはっきりさせずに、自分の中の “ダイヤの原石” は日本王者のままリング生活の幕を閉じた。



最後に会ってから12年

いつも、 「守部は今は後悔してるのかな?」  「俺が助け船を出してやれなかった事をどう考えてるのかな?」ずっとずっと頭に残ってて、いつかは会いたいなって思ってた。

今回の江坂ジム同窓会、守部も来るって聞いてたんで正直守部に会いたいから行こうと。






同窓会当日、既に飲んで盛り上がり、皆が出来上がってた頃に店に顔を出すと、直ぐに守部が飛んで来てくれた。

守部も同じようにずっと俺と会いたいって10数年思ってて今日こんな日が来るのを夢にまでみてたって話てくれた。

そして守部からは当時の心境、新たに眼を痛めてた真相、俺は自分が抱いてた変なジェラシー、全てを話す事が出来たしお互いが理解し合えた。





でもそんな話よりもっともっと心に響く言葉を守部が話してくれた。

「僕は福山さんとずっと練習してきたからこそ ‘チャンピオン’ て形が残ってる事は間違いないんです。でもそんな事より僕が一番光ってたんは一緒に毎日練習出来た日なんです。それと、一番今日伝えたかったんは・・・・・・・・」

?????(俺)

「僕がボクシング生活で一番残ってるんは初挑戦でネルソンを倒した時の左フックなんですよ。その話だけはいつか福山さんと会えて一緒に飲める日が来たら絶対したかったんですよ。 だってあの生涯でベストパンチの左フックは福山さんがいつもミットで 『これが俺が英守さん(会長実兄)から教えてもらった10センチで相手を倒す左フックや』って話しながら何度も教えてくれたパンチですから」



1995年7月、ネルソン原田に挑戦した第2ラウンド

ネルソンの右オーバーハンドでダウンさせられた守部は立ち上がってから果敢に打ち合い、互いの右が交差した後守部の返しの左フックがカウンターで炸裂し逆転のダウンを奪った。

あの時の左フックの話。

まだ日本1位だった守部が 「日本の頂点」 にいちばん接近した一瞬やったからね。

「今もあの感触、手応えは残ってるんですよ」 って、何度も何度も話す守部。



本当に嬉しかったな。



13年前の左フック。



ボクシング、長く続けて来たらホンマにええ事一杯あるよね。

お互いが若かって今なら違った答えを出してやれたかもしれないって思ってたけど、やっぱりそれは結果論。

10年後なら今の考えは幼かったなぁ〜!? って思うんやろうしね。


悔いはどんな形でも残ってしまうもの。

でも、これからも一生懸命生きて、必死で頑張って、結果論として残ってくる悔いにしたい。

日々成長、されど、今、その時がいつも最高の瞬間。 今こそが人生!

守部と話が出来て、守部の話を聞いて、また明日から頑張れる自分がいてたな!
(^^)/vvv



その後、改めて守部と会い、いつか渡そうと思ってた当時に俺がつけていた 「守部練習ノート」 とボクシングマガジンの記事や新聞の記事、試合のパンフレットをファイルした 「守部ファイル」 もやっと渡せた。

そして、今ではたまに飯を食ったり、ジムに後輩の練習を見に来てくれたり。

拳で繋がった弟分は元気に名古屋で嫁さんと一人息子の3歳の厚希くん(リングネームが息子の名前!)と幸せに暮らしている。



ありがとう、守部。

俺もお前と練習した日々は最高に輝いてたし、大事な、ホンマに大事な意味のある日々やったわ。



2008年の終わり、12月20日、一春(森本一春7W1KO2L1D)が聖地・後楽園ホールで判定勝ちした!

これは江坂ジムとしては守部が日本スーパーフライ級タイトルの初防衛戦を勝利して以来、実に14年ぶりの後楽園での勝利でした。



守部の思い出と共に始まった2008年は、守部の思い出と共に幕を閉じたね。

後輩の勝利、 継続された 「想いは届く!」 という最高の形で!!!☆☆☆




押忍

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